獅子舞(踊)や神楽、剣術や居合など地域に伝えられた芸能や古流の武術には共通した身体のつかい方が見られます。たとえば「床の上に多様な姿勢で座る」、「腰を落とした姿勢を保つ」、「地面を蹴らずに歩く」といったものです。
このような姿勢や運動の方法は「腰を落として荷物を担ぐ」というように、かつての日常のなかで生活を支えるための重要な技術としても受け継がれていました。
我々の先人たちは文明の利器に依存することなく、日常の仕事を自らの身体を用いて行っていました。そこには多様な体づかいの工夫がありました。
このような身体のつかい方は一方で、我が国の近代化の過程において「改善」されるべき姿勢や歩き方として否定されてきたという経緯があります。現在では生活様式の変化もあり、私たちにとっては日常のなかで馴染みのない姿勢や動きになりつつあります。
北文研では「先人達が日常のなかで行っていた身体の使い方」を掘り起こし、これを再評価してゆくことが地域の無形文化遺産の持続・発展のために不可欠であると考え、その取り組みを行っています。具体的には武術や芸能、日常の生活において伝えられてきた体づかいのコツの共通点に着目しています。
小手先に頼らない腕づかい
「手ぬぐいの絞り方」背中から腕をつかう動きを日常的に練習できます。これは、かつて漁師の街に住んでいた祖母から習った方法です。
コツとしては、左右の薬指や中指をフックのようにして使い、両肘や背中の柔軟な動きで大きな力を出してゆきます。親指や人差し指は使いません。
いかにして手先に頼らずに、肘から手前の身体の中心部分を使うかがポイントです。
腕にかかった重さを全身で支える方法
「辰巳返し」(古武術研究家・甲野善紀氏考案)
肩甲骨や上腕骨などの使い方を工夫すると腕と背中の一体感が強化されて、相手の重さがダイレクトに背中に乗ってきます。すると腰で無理なく重さを支えながら持ち上げることが可能になります。立ち上がるときは「足を引き上げるような力感」を維持するのがコツです。これは決して「力比べ」ではありません。体に無理をかけずに力を発揮する稽古です。
無形の文化に見られる類型的な身体技法
地域に伝えられた芸能や武芸、あるいは昔ながらの職人仕事などには共通して見られる体のつかい方があります。たとえばアグラや片膝、ソンキョの姿勢など「床の上に多様な姿勢で座る」というもの。あるいは、槍や棒の構え方や獅子踊りの姿勢のように「腰を落とした姿勢を維持する」などというものです。
かつての生活を支えた体づかいの数々
このような体づかいは何も特定の専門分野に限られたものではありませんでした。たとえば「床の上に座って手仕事をする」、「重い荷物を担ぎ上げる」、というように日常の生活においても日々の家事や仕事の数々を行ってゆくために大切な技術でした。
無形の文化遺産を育んだ身体技法
「腰を落とす」、「腰を据える」など「腰」に象徴されるこのような体のつかい方は、日常生活を支える身体能力を発揮するための技術として重要だったばかりでなく、現在においても獅子踊りや神楽、武芸など無形の文化遺産において基礎的な身体の用い方になっています。
変化を遂げた日本人の身体
しかしながら、近代化を達成し西洋化・機械化の進んだ生活を手に入れた現在の私たちにとって、このような体づかいは、もはや生活に馴染みのないものになってきました。
その要因としてあげられるのは単に生活様式の変化だけではありません。日本人は幕末・明治期以降、百数十年の年月をかけて立ち姿や歩き方など日常の体のつかい方を訓練によって変化させてきたという経緯があります。
これは日本が近代化を達成し先進国の仲間入りを果たすための重要な課題でした。現在の私たちの日常生活は、このような「身体の変化」の上に成り立っているわけです。
左「正常歩」大谷武一 1941 目黒書店 (昭和16年、集団行動、歩行訓練の教科書)
右「小学隊列運動法」飯塚勘蔵 1886 集英堂 (明治19年、隊列運動の教科書)
近代化において否定された身体
近代化の過程においては、新しい体のつかい方を手に入れるために、それまでのもの、つまり無形の文化を支えている昔ながらの体づかい(姿勢や歩き方など)が否定されたこともありました。
たとえば近代的な集団行動の訓練として整列や行進がありますが、このような場では「腰を落とした姿勢」や「すり足の歩き方」などが日本人の「欠点」とさえされてきました。人口が過密化する都市では軍隊行進の歩き方を手本にするべきだという主張もされました。
素朴な疑問
近年、地域の「伝統文化」の価値がますます見直されていて、その存続が多様な意味で望まれています。これ自体は歓迎するべき傾向であるといえるでしょう。
しかしながらここに一つの疑問が生じます。地域の「伝統文化」が大切だとはいっても「腰を落とす」というような体のつかい方がわからなくなってきている現在、いかにして先人からの文化を受け継いでゆけばよいのでしょうか。
かつての身体技法の発掘・再評価のとりくみ
このような課題に取り組むためには「腰」に象徴されるかつての実用的な身体技術を発掘・再評価してゆくことが必要であると私たちは考えました。
北文研では、我が国の中世・近世から伝わる古流武術の伝承や日常のなかで受け継がれてきた生活技術などに着目しています。とくに武術において基本とされている体づかいの共通点に着目し、その一方で、たとえば「手ぬぐいのしぼり方」のように、かつての日常で受け継がれていた技術との共通項や互換性を見出しながら検証作業を具体的に進めています。
無形の文化を支える身体技術の再獲得
我々の先人たちは文明の利器に依存することなく、日常の仕事を自らの身体を用いて行っていました。そこには多様な体づかいの工夫がありました。
このような身体技術の再獲得は、地域に受け継がれた無形の文化の持続・発展に資するものになると私たちは考えています。
たとえば、日常において「あぐら」や「片膝」、「ソンキョ」など、床の上で多様な座り方が出来る人は、足首に柔軟性があり、股関節のつかい方が巧みになっています。ですから、それだけで獅子踊りの基本の座り方に馴染みやすいはずです。
日常の作業を助ける技術として
また、そればかりではなく、これらの技術の習得は現在の我々にとっても日常における様々な仕事を行う上で、身体に無理のかからないように作業をするための助けになるはずです。
冬期の除雪作業(青森県弘前市内)
生き方の幅を広げてゆくための古くて新しい身体として
かつての先人たちの体づかいに触れてみる。これは単に「伝統文化の持続」に限られた話ではありません。身体を動かすとは人間が生きてゆくための根本的な問題であります。
たとえば日本語の「共通語」と「方言」のように、二つの異なる特質をもった身体の用い方(生き方)を両立させることができれば、「標準化と多様性」、「組織・機構の一部としての生き方と自分と向き合う生き方」、「大量生産と手作り」、「画一化と創意工夫」などといったテーマにも関連し、個々人の生き方の幅を広げる端緒にもなるように思います。
このような思考は単に、「近代の身体」と「反近代の身体」といった対立の構図や、「近代の身体」へのアンチテーゼとしての「伝統」文化の身体などといった議論に終始するものではありません。
私たち北文研の主張は、現代社会に生きる人々が、すでに獲得された「近代の身体」をベースにしながら、さらなる能力や生き方の可能性を切り拓いてゆくための新たな道筋を求める方向に向かってゆくものであります。
【参考】
「否定される身体/近代化される身体」松浪稔 2013、『近代日本の身体表象』森話社
『身体の零度 -何が近代を成立させたか』三浦雅士 1994 講談社
『国家と音楽 -井澤修二がめざした日本近代』奥中康人 2008 春秋社
『演じられた近代 -<国民>の身体とパフォーマンス-』兵藤裕巳 2005 岩波書店
『日本人のからだ・再考』瀬戸邦弘、杉山千鶴、波照間永子、他 2012 明和出版
『樫の芽』石川欣一 1943 白水社
『正常歩』大谷武一 1941 目黒書店
『小学隊列運動法』飯塚勘蔵 1886 集英堂